安息地

躍る日記

3

冷凍担々麺チンして食べました

おいしかった

 

課題を終わらせた 嘘 手を抜いた

手抜きじゃなくてこれが正しいと思いました、っていう馬鹿のフリして切り抜けようとおもいまつ

 

昔某バンドにハマった時、そのバンドのメンバー全員を平等に推せない自分が嫌で仕方なかった記憶がある

繊細だね

SもVも何らかのグループに属してるわけではない、だから今は気が楽

(Sを推しと言えるほどにハマれるかは分からないけれど)

 

推しを日々の生きがいとするような、推しを背骨とするような態度をとるのは私には難しい

推しを崇めることはできない

推しがいようといまいと私の生活と感情はなんも変わらない

ただ「好きだな~」っていう穏やかな感情があるだけ

全肯定もできない

普通に不穏なムーブがあったら不機嫌にもなる

そういう自分にコンプレックスが無いわけではない

悶えてキレてキュートアグレッッション発動したい そういう人間になりたい

 

とはいえ

近しい友人の友人に妬いてしまうことが割と多々あって、そういう風に「友人に友人にむけるには重すぎる執着・関心を抱く」ことがめちゃくちゃ多い

「自分のその日の機嫌によって友人としゃべるのが苦痛だったりする」傾向も強い

そういう「近い他人にむけるべきではない重い感情と興味」を向けても、遠いところで生きているタレントやキャラクターはそれを知りえないし、それを向けられることを生業としているところもある

「相手の都合を考えず自分の機嫌だけで会話の量を気まぐれに増減する性格だって、そもそもタレントやキャラとしゃべる機会すら存在しないことを考えれば、推すにあたって一切の問題とならない

となると、むしろ交遊関係に不要な要素をぶつけていい安全な相手として、推しなるものは私にとっての逃げ場となりうるんだろう

 

そういう風に捉えれば、私にとっても推しは背骨だったりするのかもしれない